最新のニュース |
年月日 大津今昔 |
市内旧東海道沿いには老舗や町家があり、往時の賑わいを感じられます。
 |
|
車が信号待ちしている交差点が「札の辻」東海道は左折、北国海道は直進
 |
|
札の辻界隈の東海道を歩く。 大津は東海道五十三次最後の宿場、あと12kmでいよいよ京都という位置にあります。 大津は奈良時代から「古津」と呼ばれて、交通の重要な拠点でした。宿場町と琵琶湖の物資が 集散する港町を併せ持った大津宿は大いに賑わい、天保年間頃には、家数は3650軒、 人口:14,892人、の町となり、本陣2、脇本陣1、旅籠:71、を持ち、人口も旅籠も東海道五十 三次の宿場で最大の規模となりました。 今回はそのさわりを歩くこととしました。県庁前の大通りから1筋北の狭い道が旧東海道、西に 向かって歩いてみました。中央大通りを過ぎると途中には黎明期の明治政府をゆるがした「大 津事件」の現場を示す碑があったり、道の両側にはすだれや、ちょうちんを扱うお店や和菓子 のお店等老舗があり、由緒ありげな町家も残っていて、東海道の名残を留めています。やがて京阪 電車の線路と交わる「札の辻」に出ます(京町1丁目交差点)。ここを左折して東海道、直進す ると北国海道です。ここには大津市道路元漂などもあり、何でもない交差点でありながら、か つての賑わいがしのばれます。ここから逢坂付近まで街道の両側には宿場が軒を連ね、ずいぶん賑 わったそうです。 これより京都に向かう途中には蝉丸神社、安養寺、逢坂関跡、月心寺等、旧跡が連なったまさ に歴史街道となっています。 皆さんも一度歩いてみませんか?
|
当時の大津宿の様子、街道両側に旅籠が並び、奥に琵琶湖が見えています。大津本陣からの眺めは素晴らしかったそうです
 |
|
同じ場所から見た現在の様子。緩やかな琵琶湖に向かっての下り坂がかすかに往時を偲ばせます。
 |
|
|
|